昔、プロボクサーを目指していました。
数年かけて練習したのですが、プロテストには不合格。
結果的に諦めて違うスポーツに転身した事があります。
私の場合、プロテストの不合格という結果をつきつけられ、ボクサーは向いてないなと判断しました。
理由としては、相手に攻撃されるたびにビビってしまい、なかなか試合として成立させるのが難しかった自覚があります。
自分では根性もあるし、ボクシングも数年続けてきてダメだった結果なので、努力が足りなかったとは考えていません。
ですから、挫折というよりも、不向きだったんだなという割り切り方ができました。
皆さんにもそういった経験ありますか?
子供を教える指導者の方によっては、「不向きなんていうな!練習すればなんとかなる!」とお考えになる人もいそうな気がします。
実際、どんな判断が望ましいですかね??
年代によっても変わると思いますけど‥実体験など踏まえて教えてもらえると嬉しいです。
※本記事はコメンテーターや運営局が実際に経験をした、あるいは相談を受けた実体験を参考に作成しております。
向き不向きは確かにあると思います。
競技性やポジション、体格、性格などによっても向き・不向きはあります。
ただ、向き・不向きはあくまでも優位性の話で、不向きだからプロになれないわけではありません。
そこを努力で補った選手がプロになっていくのだと思います。
小学生の指導をしていますが、初めてでもボールタッチが上手い子もいますが、上手くいかない子もいます。
1年も経てば、みんな出来るようになります。
やっぱり大事なのは継続して行うことです。
子どもも大人も人なので上手く出来ないと嫌になりますよね?
そこでも諦めずに継続出来るかは、好きかどうか含めたメンタル面に大きく左右されると思います。
もしかしたら、不向きはこれから必要となるメンタルの準備をさせる為の大事な役割なのかもしれませんね。
2024.08.21
僕の不向きかな?と自覚した経験は‥ありますよ!
ゴルフですね。
打ちっぱなしに行った時、珠がほぼ真横に飛んでいったので、怖くてそれ以来出来ませんでした。
要するにトラウマです。
努力して不向きって思った経験はないかもしれません。
なんでしょう、努力できる背後には、そのスポーツが好きみたいなところがあります。
ですから、能動的に学びを欲しますよね。
結果的に、それが努力みたいな言い方をされている気がします。
プロになりたい人が、その因果関係を到底手の届かないものであると判断した場合、不向きって思うのは理解できますよ。
プロになれなかった因果関係が明らかになっているから、その判断をされたんですよね?
同じボクサーとしての感想ですが、数年努力して尚ビビっちゃうのであれば、その判断は良いことだと思いますね。
すでに判断されたうえでやめられているので本音をぶっちゃけますが、ボクシングでビビっちゃうならやめちゃって正解です。
生死に関わるスポーツなので、甘い考えは命に関わりますから。
全競技において、向き・不向きの判断をどのようにするか?
それを考えるのは難しいな。
なんか、数年頑張って、好きが益々好きになって、それでも結果が出なくて…
そんなアスリートを想像したとき、不向きって思わなそうです。
我々、プロはプライドがあります。
3流でも1流でも、プライドはあります。
不向きって考える時点で、その競技がどうこうよりも、プロになれるのかな?って思う側面もあります。
不向きかな?と考えた人がいたとして、どんな判断が望ましいか?
難しい。。
対象が成熟しているか否かで大きくかわりますよ。
自己理解が進んでいるアスリートの場合、不向きだと割り切って転身するのはその後のキャリアに良いことが起きそうです。
ただ、未成熟なアスリートの場合、悪い意味での体験を積み重ねていきそうです。
難しいよ、このテーマ‥
コメントにまとまりがなくゴメンナサイ。
リアルで議論したいですね。
2024.08.15
元サッカー選手です。
向き不向きというのは好きか好きじゃないかなのかなと思います。
ちょっと言葉を入れ換えているだけのように見えるのですが…
確かに持って生まれた体格や体質による向き不向きはあるかもしれません。
ただ、それを克服して活躍しているトップアスリートも何人もいて、そういう人たちはみんな想像以上の努力を平然としています。
自分がそんなに興味が無いことや誰かにやらされていることにはそこまで力を注げないですよね。
その競技が好きであればどんなに苦しいことや苦手があっても克服する努力が出来ます。
部分的に切り取れば向き不向きがあるかもしれませんが、自分の場合、諦めるとか自身の進退を見極めるということの判断のポイントは好きか好きじゃないか。になりますね。
ちなみにサッカーは好きなのでシニアでまだ続けています!
2024.08.15